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大阪地方裁判所 昭和51年(わ)271号 判決

主文

(一)  被告人溝口弘美を懲役一八年に、同溝口正弘を懲役一七年に、同塩田時雄を懲役一五年に、同平野正章を懲役一二年に、同嶋田種雄を懲役一二年に、同長田民男を懲役一五年に、同高須義行を懲役一五年に、同出崎講市を懲役八年に、同池本勝を懲役一四年にそれぞれ処する。

(二)  未決勾留日数中、被告人溝口弘美については八〇〇日を、同溝口正弘については七九〇日を、同塩田時雄、同平野正章、同嶋田種雄、同長田民男、同高須義行についてはいずれも八〇〇日を、同山崎講市については七五〇日を、同池本勝については八〇日を右各刑に算入する。

(三)  押収してある自動装てん式拳銃一丁(昭和五一年押第三一二号の二一)を被告人溝口弘美から、同SW三八口径回転弾倉式拳銃一丁(同号の一九)及び実包一発(同号の二〇)を被告人溝口正弘から、同コルト三八口径回転弾倉式拳銃一丁(同号の二二)及び実包三発(同号の二三)を被告人塩田時雄から、同SW二二口径回転弾倉式改造拳銃一丁(同号の二六)を被告人平野正章から、同CRS二二口径回転弾倉式拳銃一丁(同号の二四)及び実包一発(同号の二五)を被告人嶋田種雄から、同二二口径回転弾倉式改造拳銃一丁(同号の二七)を被告人山崎講市から、同SW二二口径回転弾倉式改造拳銃一丁(同号の一七)及び実包一発(同号の一八)を被告人高須義行から、それぞれ没収する。

理由

(罪となるべき事実)

一本件各犯行にいたる経緯

被告人溝口弘美は、暴力団松田組系溝口組組長溝口正雄の実弟で同人に代り溝口組をとりしきつている者、同溝口正弘は同組若者頭(同人の父は溝口正雄の従兄弟)、同塩田時雄、同平野正章、同嶋田種雄はいずれも同組幹部(同平野正章の妻は溝口正雄の姪)、同長田民男、同高須義行、同出崎講市は同組組員(同長田民男は溝口正雄の甥)、同池本勝は北九州市の暴力団工藤会系田中組の組員で保釈逃亡中溝口組に客分として世話になつている者である。

溝口組は、豊中市長興寺南三丁目一二番一九号に事務所をもち、昭和四五年ころから大阪市北区曾根崎上一丁目一〇番地スナツク喫茶「ヒツト」(経営者は溝口正雄の長女早苗)に常設賭博場を開き、被告人溝口正弘を責任者として連日午後一一時ころから翌日午前四時ころまで商店主などを相手にいわゆる賽本引賭博を行い、その寺銭のあがりで組員の生活を維持していたものである。

山口組系佐々木組内徳元組舎弟頭切原大二郎(当四〇年)は、昭和五〇年六月末ころ、舎弟米澤障彦(当二四年)その若衆木澤貞高(当二五年)らとともに右賭博場に赴き賭博をしたが、負けて所持金約二五万円を失つたので、被告人溝口正弘に対し他人振出の額面四〇万円余の小切手の換金を依頼し賭金を得ようとしたが、同溝口正弘が容易にこれに応じなかつたので、佐々木組代紋入りの名刺まで出して強引に割引を承知させ、右割引金を使用してさらに賭博をし、勝つて右小切手をとりもどして帰つた。その後も右切原大二郎は右米澤障彦らを連れて数回右賭博場に行き賭博をしたが、その折木澤が賭博中にこれみよがしに拳銃をもてあそぶなどしたことがあり、溝口組では前記の小切手割引の一件とあわせ考え、右切原が山口組の勢力を背景に賭場荒しをしようとしているのではないかとの疑念を抱き警戒していた。

同年七月二四日午後一二時ころ、右切原はわずかの所持金しか持たず、右木澤・及び右木澤の連れの朴鐘夏(当二五年)を連れて右賭博場に赴き、応対に出た同平野正章に対し所持していた他人振出の額面三五万円の小切手の換金を申し入れたが、同人は被告人溝口弘美の指示で換金を断つた。これに対し切原らは右賭博場の控室まで強引に上りこみ、さらに執拗に換金をせまり、同溝口弘美との押問答になつたが、同人があくまでも拒否したため、切原らは「わしも佐々木の代紋を持つた男や。たかが二〇万や三〇万で玄関払いを喰つたのやからこのけじめはつけさせてもらう。」などと捨台詞を残して引揚げた。

二罪となるべき事実

(一)  被告人溝口弘美は、翌二五日午前三時ころ、「ヒツト」に被告人溝口正弘を呼び、切原大二郎らとの紛争の経緯を説明し善後策を協議した。その結果、切原大二郎らから申出があればとりあえず同溝口正弘が話合いをすることになつたが、同被告人らは、切原大二郎らが出してくるであろうおとしまえの要求に応ずることは同人らの横車に溝口組が屈服することに他ならず、同人ら以外の山口組系の暴力団組員からも足元をみられてつけこまれ結局は賭博場を維持できなくなるので、同人らの要求に対してはあくまでも拒否の態度を貫く他はないが、その場合には、同人らのこれまでの態度等からみて同人らが報復のため山口組の勢力を背景として溝口組を襲撃しようとしてくることは明らかであると考え、これに対しては溝口組としても賭博場を守るべく組の全勢力を結集して迎撃に出て同人らを拳銃で射殺するもやむなしとの決意をかため、その場に居合わせた被告人塩田時雄、同平野正章、同嶋田種雄、同長田民男、同池本勝らに対し、右決意を表明して各自拳銃等の武器を用意しいつ襲撃をうけても反撃できるように準備し、かつ覚悟をきめておくよう指示するとともに、他の組員にもその旨連絡しておくよう指示し、同塩田時雄らもこれを了承し、ここに同溝口弘美、同溝口正弘、同塩田時雄、同平野正章、同嶋田種雄、同長田民雄、同池本勝の間に切原大二郎ら殺害の共謀が成立した。

被告人出崎講市は、当夜組事務所の当番に従事していたが、同日午前五時ころ、「ヒツト」から帰つてきた同嶋田種雄から当夜の「ヒツト」での切原らとの紛争の経緯とこれに対する被告人溝口弘美、同溝口正弘ら溝口組上層部の前記のような決意、指示をきくとともに、同被告人から切原大二郎らと喧嘩となつた場合には組員の一人として命を張つても同人らと戦うよう指示され、これを了承し、もつて同人ら殺害の共謀に加担するにいたつた。

被告人溝口正弘は、切原大二郎らの申出により同日午後九時ころ阪急電鉄豊中駅付近で同人らと会うことになり、話合いが決裂し喧嘩となつた場合にそなえてSW三八口径回転弾倉拳銃一丁(実包五発入り―昭和五一年押第三一二号の一九)を携帯し、三二口径回転弾倉式改造拳銃一丁(実包四発入り―同号の二七)を携帯した被告人山崎講市に自動車を運転させて前記豊中駅方面に向かつて出発し、その後を溝口組組員溝口次郎の運転する自動車に三二口径自動装てん式拳銃一丁(実包七発入り―同号の二一)を携帯した被告人溝口弘美と同池本勝が乗車して追尾し、被告人嶋田種雄もCRS二二口径回転弾倉式拳銃一丁(実包二発入り―同号の二四)を携帯してタクシーで被告人溝口正弘の後を追つた。

被告人高須義行も、同日午後九時ころ、被告人平野正章から電話で、前記のような切原とのやりとりの経緯をきいて今後の成行きによつては同人らと命がけの喧嘩となるかもしれないことを察知し、その場合には溝口組の他の組員と共同して同人らと戦うことを決意し、二二口径回転弾倉式改造拳銃一丁(実包二発入り―同号の一七)を携帯して阪急電鉄豊中駅方面に急行し、被告人溝口弘美らと合流し、もつて切原ら殺害の共謀に加担した。

被告人溝口正弘は、豊中市本町二丁目一番二三号の空地等で、切原大二郎、米澤障彦、木澤貞高、朴鐘夏らと前夜の一件につき話合いをはじめ、切原大二郎らがおとしまえをつけるよう迫つたのに対し同溝口正弘があくまでもこれを拒否する態度に終始したため話合いがつかず、被告人溝口弘美、同嶋田種雄、同池本勝らが、急を知つてかけつけた同塩田時雄(コルト三八口径回転弾倉式拳銃一丁(実包六発入り―同号の二三)を携帯)、同平野正章(SW二二口径回転弾倉式改造拳銃一丁(実包三発入り―同号の二六)を携帯)、同長田民男(三八口径回転弾倉式拳銃(実包五発入り)を携帯)、同高須義行らとともに遠巻きにして話合いの状況を見守つている中で、業をにやした切原大二郎が被告人溝口正弘を拉致しようとし、この状況をみていた被告人溝口弘美が所持していた前記拳銃を同高須義行に渡し、同被告人の所持していた前記拳銃を同池本勝に手渡させたうえ、同溝口正弘が拉致されそうになつたら自動車を切原らの自動車に衝突させるのでその間に切原らを射殺するよう同高須義行らに指示するなど緊迫した状況が続いた。

その後被告人溝口正弘は同日午後一一時すぎころ切原らとともに豊中市長興寺南三丁目一番六号スナツク喫茶「ジユテーム」(経営者大森小夜子)に赴き話合いをつづけることになり、被告人平野正章、同嶋田種雄、同出崎講市も同行した。しかし、話合いは依然として押問答のくりかえしで平行線をたどつたままの状態が継続した。被告人溝口弘美は、同塩田時雄、同長田民男、同高須義行、同池本勝らとともに右「ジユテーム」付近路上に待機し、「ジユテーム」での話合いの様子をうかがつていたが、同日午後一二時ころに至るも話合いがつく様子もなかつたので、このうえは自分が「ジユテーム」に赴き結着をつける他はないと決意し、被告人塩田時雄らを連れて「ジユテーム」に入り、切原大二郎に血相をかえてつめ寄り「お前らは他人の盆をつぶしにきたんか。こんなことは上の指令か。」と頭ごなしに詰問したが、これに対し切原も大声でこれに言いかえすなど一歩もひかない態度を示し一触即発の緊迫した状況となつた。

このような状況の下で、翌二六日午前零時五分ころ、もはや話合いで解決する余地は全くないと判断した被告人らは、かねての謀議のとおり共同して拳銃を発射し切原大二郎らを殺害するもやむなしとの決意をかためるにいたり、ここに互いに意を通じたうえ、被告人溝口正弘、同塩田時雄、同長田民男、同高須義行及び同池本勝においてやにわに切原大二郎、米澤障彦、木澤貞高及び朴鐘夏に対し拳銃を乱射し、よつて右米澤をして心臓銃創、前胸銃創等による心臓血液タンポナーデにより、右大澤をして左頸動脈破砕、左側頸部銃創等による出血失血により、右朴をして心臓銃創、前胸部右側上部銃創等による出血失血により、いずれもそのころ、その場においてそれぞれ死亡させるとともに、右切原に対し入院加療約二週間を要する左頸部貫通銃創(二ケ所)を負わせたが殺害するにいたらず、

(二)〈以下、省略〉

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)〈省略〉

(弁護人らの主張に対する判断)

弁護人らは、「判示二の(一)の殺人、同未遂の事実について検察官の請求により証拠調のなされた被告人らの供述調書の中には、起訴後の取調にかかるものが少なからず含まれており、刑事訴訟法上の被告人の地位にかんがみ、これらはいわゆる違法収集証拠として証拠能力を有しないものである。」旨主張する。

記録によれば、被告人溝口弘美ほか六名が右の訴因について起訴されたのは昭和五〇年九月四日であつて、当裁判所において右の訴因につき証拠調のなされた被告人らの供述調書のうち、被告人溝口正弘の検察官に対する昭和五〇年一〇月三〇日付供述調書((1)乙検察官請求証拠目録23)、同塩田時雄の司法警察員に対する昭和五〇年九月五日付供述調書(同目録33)及び検察官に対する昭和五〇年一〇月一三日付、同年一一月四日付各供述調書(同目録39、40)、同平野正章の検察官に対する昭和五〇年一〇月二九日付、同年一一月七日付各供述調書(同目録52、53)、同嶋田種雄の司法警察員に対する昭和五〇年九月五日付供述調書(同目録64)及び検察官に対する同年一〇月一六日付、同年同月三〇日付各供述調書(同目録69、70)及び同長田民男の検察官に対する昭和五〇年一〇月三〇日付供述調書(同目録85)が起訴後の取調の結果作成されたものであることは弁護人主張のとおりであり、現行刑事訴訟法の当事者主義的、公判中心主義的訴訟構造にかんがみるとき捜査官が当該公訴事実について被告人を取調べることはできるだけ避けるべきであることは多言を要しないが、事実の内容や捜査の進展状況によつては事件の真相を明白にするために起訴後においてさらに補充的に被告人を取調べることがやむをえないと認められる場合も少なくないし、また、この被告人の取調は刑事訴訟法第一九七条の任意捜査に他ならないから、少なくとも第一回公判期日前においては、起訴後の取調という一事をもつて直ちにこの取調を違法とし、この取調の結果作成された供述調書の証拠能力を否定すべきものとは解しがたい(最高裁昭和三六年一一月二一日第三小法廷決定・集一五巻一〇号一七六頁参照)。

本件の被告人溝口正弘ほか四名の起訴後の取調はいずれも右訴因についての第一回公判期日(昭和五〇年一一月一九日)以前になされたものであり、この取調によつて右被告人らの防禦権が実質的に侵害されたとか弁護人との接見交通が妨害されたという事情も全くうかがわれないのみならず、被告人池本勝が本件殺人、同未遂の訴因につき起訴されたのが昭和五〇年一二月五日、同出崎講市が右訴因につき起訴されたのが昭和五一年二月三日、被告人溝口弘美ほか六名が本件犯行の際所持使用した拳銃、実包につき銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反の罪で起訴されたのが昭和五〇年一二月五日(同出崎講市は昭和五一年一月一四日)と、いずれも本件各取調の後であり、本件各取調はいずれもこれら追起訴の訴因の関係での取調という一面をも有していたこと、本件殺人、同未遂の犯行は、前判示のように、多数の被告人が共同して拳銃を乱射し三名を殺害し一名に重傷を負わせたという重大なものであつて、とくにきめの細かい捜査が要求される事案であるが、多数の被告人が加功し、当初の共謀の段階から実行行為にいたるまでの過程が時間的にも場所的にもかなりの拡がりをもち、その間被告人ら以外の組員も種々の役割を演じているというきわめて複雑な事案であるところ、本件犯行後被告人溝口弘美を中心として各種の罪証いん滅工作が行われ、これにしたがい被告人らが逮捕勾留後相当期間虚偽の供述をくりかえしていたため、被告人溝口弘美ほか六名の共同正犯としての罪責ははつきりしたものの、当初の共謀から実行行為にいたるまでの具体的経緯、この間の右各被告人らの行動状況、実行行為時の各被告人の果した役割、各被告人と押収されていた各拳銃との結びつき、他の共同正犯、幇助犯の有無などが右起訴の時点においてはまだ十分に解明されていなかつたので、本件各取調はこれらの点につき従来の虚偽の供述を是正すべくやむをえずなされた補充的なものと認められることなどに照すと、捜査機関に行き過ぎの点があつたとも認められないし、まして違法とは到底いえない。

したがつて、弁護人らの右主張は採用しない。

(被告人らの情状)

本件は、賭博場をめぐるもつれから、被告人九名が豊中市内のスナツクにおいて、共同して拳銃を乱射し三名を虐殺し、一名に重傷を負わせたという事件であり、犯行の態様が組織的で大がかりであり、かつその結果も重大であつた点では、暴力団員による殺傷事件の中でもきわめて重大な犯罪というべきである。また、本件は、その後の山口組系暴力団と松田組系暴力団との全面的な抗争の発端となつた事件であり、両者の間に現在に至るまでこの種の不祥事件が頻発し、社会の治安に少なからぬ悪影響を及ぼし地域住民に不安を惹起している点は、ひとり被告人らのみにその責を帰しえないとはいえ、被告人らの罪責を考えるにあたつては看過しえない事情というべきである。暴力団員の拳銃を使用した犯罪が多発し、時には善良な一般市民さえその被害者となつている近時の世相にかんがみるとき、一般予防の見地からも被告人らの罪責はきびしく追及されなくてはならない。のみならず、被告人らは、本件犯行後被告人溝口弘美を中心として各種の罪証いん滅工作を行ない、公判廷においても自己の罪責を否認し虚偽の供述をくりかえしているなど必ずしも反省の色は十分でなく、また、被告人らの中には組から足を洗う決意をはつきり表明している者は一人もない点などからみて、被告人らには再犯のおそれも十分にあるといわねばならない。

しかしながら、本件は、切原大二郎らの賭博場荒しに起因して発生したものであつて、「ジユテーム」における本件犯行にいたるまでの経過をつぶさにみると、終始攻撃的で高圧的な態度をとつていたのは切原らの方であり、被告人溝口正弘らはこれに対し受身の態度に終始していたのであり、賭博場を守るため、いわば窮鼠猫を噛む形で敢行されたのが本件犯行であり、切原らの傍若無人で挑発的な振舞がその大きな要因をなしていることは否めず、この点は被告人らの有利な事情として斟酌されるべきである。

これらの事情に、各被告人の本件犯行の共謀から実行行為にいたる一連の経過の中で果した役割、組における地位、経歴、前科等を併せ勘案し、主文のとおり量刑した次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(山中孝茂 日比幹夫 的場純男)

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